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神社一覧 南九州


菅原神社 えびの市



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鎮座地/御祭神/神事・例祭/由緒/概要/

鎮座地

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  • 所在地:えびの市西川北 ○北緯32度3分58秒,東経130度47分12秒
  • 連絡先: ○えびの市(0984-35-1111)
  • 交通 : ○JR吉都線京町温泉駅下車、歩30分 ○九州自動車道えびのインターチェンジより 車で約5分。


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御祭神

No 神社名 位置所在 名称 祭神 摘要 備考
菅原神社 本殿
菅原道真 古来
天満大聖威徳天神宮
末社 境内 豊受神社 保食神 馬頭観音 古来大日ヶ丘に鎮座
拝殿右側社務所
牛木像あり
末社 境内 若宮神社 *大雀命(16代仁徳天皇) 岩姫命(16代妃) *荒田郎女命 *根鳥尊 八幡大神(15代応神天皇)
のお子等
拝殿の左側
境内 大日神
地主神 山の神 門守神 牛石像 石碑・石像


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由緒

pin.gif 三国名勝図会 日向国諸県郡馬関田 によると


天満大聖威徳天神宮

地頭館を距ること 子方、四町許 東村にあり所祀 北野・宰府・威徳 の三天神と云 共に菅丞道真の霊なり ・・・・・・ 馬関田(まんがた)郷の 総鎮守なり 昔、時 道正某なるもの 京師より勧請せしとぞ、 飯野邑の市坊、 道正三衛門は 其子孫といひ、 家に笈を蔵む ==== 図会 4-363 ====
■古来、日本三大天神の一社  ○大宰天神  ○北野天満宮  ○威徳天神 ■創建年代不詳  図会によると  昔、道正某が京都より勧請  別伝では天元5年(982)勧請 ■馬関田(まんがた)郷の  総鎮守なり ■江戸初期、  火災で由緒記録を焼失 ■万治年間(1658-61)  再興   ■寛文3年(1663)  灯篭建立(境内)  庚申石燈 ■寛文5年(1665)  3月24日再建の棟板あり ■安永5年(1776)  灯篭(三楽寺) ■享保2年(1717)  手水鉢建立 ■享保10年(1725)  燈篭建立(二十三夜待) ■文化5年(1808) 石碑(灯篭) ■明治初年  現社名「菅原神社」に改名   ■明治初年  豊受神社(大日ヶ丘)  若宮神社合祀  牛越し祭り開催 ■明治10年(1877)  招魂碑 ■大正8年(1919)  灯篭 ■大正10年(1921)  灯篭 ■昭和2・3年(1928)  西南の役50祭記念  建立年不明だが  西南戦争は明治10年(1877)  50年とすると昭和初期か


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神事・例祭

例祭名概要摘要
725夏越祭茅輪潜り
728牛越し祭丸太を牛が飛ぶ無病息災・安全、牛供養

pin.gif 図会によると 島津忠平(義弘)が崇拝され 流鏑馬や浜下り 等の神事もあったようだが 現在は無い


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菅原神社を建立した
道正氏は勧農の心厚く
大日ヶ丘に
豊受神社と大日如来を祀り
牛馬の神とした。
江戸時代には
球磨郡(熊本県)
姶良郡伊佐郡(鹿児島県)
からも数百頭の牛が集まり
馬関田の仮屋前で
「牛跳ばせ」
をしたという。

明治になり
大日ヶ丘も整理され
豊受神社は
菅原神社境内に移り
ここで毎年
「牛越え祭り」
が行われる。

大日如来は
岡園氏宅にある。

現在、
丘は耕地整理で無くなり
石塔も記念碑の下に
埋められている。


=====  えびの市史・石塔編p300 =====









7/28:牛越し祭り見物
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2008/7/28:牛越し祭り

父を連れて行きたい祭りの一つだが 肝心の主が熱中症で高熱を発し この26日入院となった。 今回は、 どこか物足りないと言うか 勝手の違う祭り見物となった。 ☆牛越し祭りの大きな看板が 朝7時過ぎのローカル線で えびの京町温泉へ。 天気も上々、祭り日和だ。 時間があったら 周りの石碑や神社も収めたいと 久々にマウンテンバイク を引っ張り出した。 ここで下車するのは初めてだ。 車窓からは何度も眺めているのだが どんな処か興味津々だ。 ☆その橋の欄干には立派なべぶが 8時過ぎ駅に着いた。 自転車を組み立てたて、 駅の周りの写真を 撮っていたら、 最近好くお会いする鹿児島市内の ご夫婦に偶然遭遇した。 前回は串木野・花冠祭だったな。 いつも精力的にご活躍だ。 ☆京町温泉の外れに鎮座する「菅原神社」 先ず京町温泉外れの 菅原神社に参拝し 『牛越し祭』の開催される 菅原神社を目指す。 途中から、 道路両脇に祭りをふれる幟が。 ☆間道には幟が それを目当てに あちこち寄りながら 10時の開催時刻前に到着し、 数人のカメラマン 諸氏と雑談をしながら 開催を待つ。 ☆牛越し・子牛は怖がって 神事、来賓の挨拶の後 、目当ての「牛のジャンプ」が 始まった。 親牛子牛取り混ぜて。。 やはり子牛は怖いのか なかなか思い切りの好いジャンプは。 今回は幾分子牛が多くて、 迫力のある映像は次回に お預けとなった。 このところの飼料高騰で 育たなかったのかな。。 ☆勢子がかなり真剣、牛は嫌がっていたが。。 祭りの花はお昼前で終わった。 昼食の後午後は 奉納舞があるようで 終了は3時過ぎ。 そう云えば幼子が 演舞でもやるのか準備していたが。。 氏子の皆さんの 宴会タイムとなったので 外野席の皆さんは いつの間にか四散して 私だけになってしまった。 ☆参道沿いにあった田の神 この後、 もう一箇所 ぜひ廻りたい場所があった。 それは、 隼人の墳墓と噂される 「地下式横穴墓」だ。 どのような形態なのか ぜひ見学したいと思っていた。 ☆真幸村古墳・地下式横穴墓 帰途は、 隼人の古墳を見たいとマークを入れて 持参したGPSは落とした性か 肝心の地図が出ない。。 プリントアウトした 地図の小字を目当てに。。 しかし田んぼの畦道。。 さっぱり要を得ない。 幾度か車が通るたびに 手を挙げお尋ねしようとしたが ご多忙なのかなかなか 停まって貰えず。。 やっと中学生が 自転車で通りかかったので 尋ねたら、 親切にも案内して頂き 感激した。 田畑の中の一角で、 間道には案内目印も建っていない。 これでは初めてでは なかなか見つからないな。 ☆真幸村古墳・地下式横穴墓 いや〜、、 見つかったのは嬉しかったが 薮蚊の大群に襲われ、 ショットもそこそこに退散した。 いつもの史跡探訪には 必ず持参するのだが 今回は荷を減らした性もあって。。 参った。 下車した京町温泉駅を 目指し走っていたら やけに目が痛い。 どうも降灰か黄砂が舞っている。 これでは、 史跡探訪もちょっときついな。 ☆田園の中に鎮座する羽黒神社 暫くしたら 食堂が目に入った。 朝食が早かったので お腹が空いて その上の喉も渇いていたので 即飛び込んだ。 ☆昼食をした食堂、私一人だった。 腹ごしらえをし 駅へ着いたら、 数分前に出たばかり。 後2時間待ち、 反対の都城なら約20分待ち。 余裕があるなら、 都城の早水公園にでもと思っていたが 運良くか運悪くか接続がいい。 3分程で下りがある。 それなら次回、 父とまた訪れるとして 今日は帰途に。 帰宅したのは5時前。 室温は36℃。 クーラーを稼動し いつもの露天風呂へ。 湯上りに氷金時を食べたら 火照った体が落ち着いた。 夕食後、 今日の成果をセーブしアップ。 ☆菅原神社参道


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概要


県道の第一鳥居

牛越祭由緒書き

参道(100m程)

境内への参道

拝殿

拝殿

拝殿社殿

社殿・本殿

境内

境内

境内(拝殿横)

石塔

境内への参道
両脇に仁王像

参道の牛像

参道の仁王像
正徳3年(1713)

参道の仁王像

由緒

階段の仁王像辺りから見た参道


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考察
 
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  1. 参照とした三国名勝図会には この「牛越し祭」に関しての記載はない。 これ等の出典も調査したいが 一応「えびの市史」から抜粋掲載
  2. 境内に幾つか石碑や石像があった。 これも「えびの市史・石塔編」を 参照した。
  3. 創建の年代の伝承だが 「別伝では天元5年(982)勧請」 とあるが、勧請した 京都の北野天満宮 の由緒によると
    永延元年(987)
    一条天皇の令により
    初めて勅祭が執り行われ
    「北野天満宮天神」
    の神号を得ました
    
    
    とあるので、 この別伝は間違いと思われる。
  4. 参照にした三国名勝図会だが 北野・宰府・威徳 の三天神と云 とあるのだが、 北野天満宮では別名を 「威徳天神宮」 と称していたようだ。 現在は ■北野天満宮:御魂 ■太宰府天満宮:御陵 とされている。


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