jisya-log

寺社探訪 南九州


韓国宇豆峯神社 国分



contents:

鎮座地/御祭神/神事・例祭/神事・例祭/由緒/概要/考察


鎮座地

pin.gif 隼人コース
隼人史跡巡り順路
■所在地:  鹿児島県霧島市国分・上井宇豆門  北緯31度43分26秒,東経130度47分33秒 ■連絡先:  霧島市(0995-45-5111)   ■交通 :  上野原縄文遺跡のある台地の川を挟んで  対岸の麓にあります。  ○鹿児島交通バス(乗車前に要確認)    ○国分駅前から黒石岳キャンプ場行で   宇豆門下車歩2分   (655/930/1253/1520:日祭日運休)     ○バス 鹿児島空港〜高隈〜上祓川〜鹿屋:   川内下車歩5分


contents/ HOME

御祭神

No 神社名 位置所在 名称 祭神 摘要 備考
k23 韓国宇豆峯神社

五十猛命
(素戔鳴尊の子:林業神)
韓国大明神
明治4年他社へ配祀あり

冠輪大明神 境内 末社 韓国之母神・父神


荒人 境内 末社


天一神 境内 末社


若宮 境内 末社


山の神 境内 末社


善神王両社 境内 門守神


contents/ HOME

神事・例祭

例祭名概要摘要
3上旬神事・祈年祭農耕、田植3/9前後の日曜日
10上旬例祭旧9/9


神事

種もみまき

苗代耕し

苗代耕し

流鏑馬

流鏑馬

流鏑馬

唯一の子供(2003年)

pin.gif たんかんさ〜祭
  • 午後4時から地区民だけのささやかな神事
  • その後、境内のゆにわで神事があって、 べぶと農民に扮し「苗代耕し」
  • そして、境内の的へ矢を射る簡略化された 流鏑馬が。。
  • 子供が多ければ、「砂かけ」もあるのだが、 参加はこの姉妹だけと寂しい祭だった。

  • contents/ HOME

    由緒

    pin.gif

    韓国宇豆峯神社

    地頭館より辰方、一里三町 上井村、宇豆峯の麓にあり 社家傅に春日大明神、彦火火出見尊 若宮八幡を祭るといふ 神体三坐の外、同殿に仏像三體あり 是は近頃曽於邑、 止上神社別當僧源亮房覚遍の所安とぞ 例祭正月元旦、二月初午日、 九月九日、十一月初午日 延喜式、大隅國曽於郡 韓国宇豆峯神社是なり 宇佐記辛國に作る 神社撰集云、 始め宇豆峯の嶺にあり 謁祭に便りならざるを以て、 今の地に還し祭とか 宇豆峯は、今の社頭より 申方五町許りにある野岡なり 當社に永正元年以来の棟札あり 此所に還されしは、 永正以前なるべし 當社は大隅國五社の一なり ・・・・・・ 宇佐記曰 欽明天皇三十二年二月葵卯 豊前國、宇佐郡、菱形池上小倉山邊有 神託三歳児告異人大神比疑曰 辛國城八流之幡降 辛國地名在、大隅國曽於郡 我是日本人王十六代誉田天皇 廣幡八幡麿也 是応神天皇霊を見はし給ふ也 ここに八流の幡を降されしなり 按に、韓國亦虚國嶽 此嶽は踊邑に在り に同じく 所祀、 五十猛命、韓神、曾富理神 の三坐なるべし この神筑紫に在て ・・・・・・ ==== 三国名勝図会 3-54 ===
    ■延喜式神名帳 大隅国五宮の一社 ■創建も祭神も不詳 ■以前は、野岡にあったという (現在地より申方五町)  ==>>現在の諏訪神社の裏山か ■欽明天皇32年(562) 宇佐記曰 欽明天皇三十二年二月葵卯 豊前國、宇佐郡、菱形池上小倉山邊有 神託三歳児告異人大神比疑曰 辛國城八流之幡降 辛國地名在、大隅國曽於郡 我是日本人王十六代誉田天皇 廣幡八幡麿也 是応神天皇霊を見はし給ふ也 ここに八流の幡を降されしなり 按に、韓國亦虚國嶽 此嶽は踊邑に在り に同じく 所祀、 五十猛命、韓神、曾富理神 の三坐なるべし この神筑紫に在て   ■永正元年(1504):  再興   ■永禄10年(1567):  再興   ■元和5年(1619):  持明様再興   ■宝永5年(1708):  再興   ■明治4年(1871)  祭神は、五十猛神,天児屋根命,日本武尊  の三座だったが、他社へ配祀された。  天児屋根命は、加治木の>春日神社へ  日本武尊は、鹿児島郡武村の建部神社へ  配祀された。  ===>>(出典:国分古蹟)   ■昭和61年(1986)  社殿・境内改修


    contents/ HOME

    概要


    熊満崎(左)諏訪(中央)宇豆峯(右)の神社

    三国名勝図會
    宇豆峯は諏訪の上の頂(122m)か

    由緒

    参道

    鳥居(正八幡型)

    参道と拝殿

    境内

    境内の池の中にも鎮座

    境内

    境内池の龍神か?

    拝殿

    拝殿と本殿

    境内の山神碑

    県道バス停から見た全景
    右が神社、左が宇豆峯(122m)


    contents/ HOME

    考察

    pin.gif
    ○御祭神の考察○
    1. 延喜式神名帳 大隅国五宮の一社
    2. 創建も祭神も不詳だが、隼人の抗戦以後、 平定統治で移住してきた 政府軍(朝鮮:新羅系か)が祀った神社?。
    3. 国分諸古記には不詳とあるが(下記)。
      韓国大明神
           延喜式 大隅五社之一社也、
           建立之年間不相知候、
           永正元(1504)甲子十二月再興
           
      韓国大明神 末社
           冠輪大明神  韓国之父神:
           恋隈大明神  韓国之母神:
      
      
    4. この8世紀初頭前後び移住してきた秦系が 勧請したものだろうか。
    5. 明治初期、祭神を「五十猛神」に 制定したようである。 他は、ガイドの画像を参照。 ===>>(出典:国分古蹟) 祭神は、五十猛神,天児屋根命,日本武尊 の三座だったが、明治4年(1871)、他社へ配祀された。 天児屋根命は、加治木の春日神社日本武尊は、鹿児島郡武村の建部神社へ配祀された。
    6. 一説には天児屋根命(あめのこやねのみこと)とも 云われる。 この祭神は天尊降臨の時の随神で藤原氏の始祖である。
    7. 韓国宇豆峯神社という位だから「韓国」 と関連があるのだろうか。 平定統治で移住してきた政府軍(新羅秦系辛島氏か)が 祭ったのだろうか。
    8. そこでネットで検索してみた。
    9. 辛島氏が祀ったであろうと推察する所以は次による。
      • 「秦氏」の流れを組む辛嶋氏の神は香春(かわら)岳を 経て、 「宇佐郡辛国宇豆高島に天降る」とある。 ここ「宇豆峯」と同語で 辛島氏系勧請の線が濃い。
      • また、鹿児島神宮史には「香春八幡神」の名が 読み取られるが、香春(かわら)神社と云えば、 「辛国息長大媛」が祭神である。 「韓国」と「辛国」これも同類だが。
      • 三国名勝図会に「主祭神不詳」とあるが あるいはこの「辛国息長大媛」ではなかったのかと。
    10. 隼人抗戦で豊前國からの移民が、 この地も統治して本来隼人の「祖霊社」で あったろうこの神社を 彼等の祭神に変更したのではとの推論が一般的だ。
    11. 尚、「韓神」については 「古事記」の「大年神 」 の下りで出てくる。
       故其大年神 
      娶神活須毘神之女伊怒比賣 
      生子大國御魂神 
      
      次韓神 
      次曾富理神 
      次白日神 
      次聖神【五神】 
      又娶香用比賣【此神名以音】 
      生子大香山戸臣神 
      次御年神【二柱】 
      
      
      この古事記の収集・編者である本居宣長は 解説の「古事記伝・12巻」では
      韓神。
      名義未考得ず。
      韓は借字か正字か、地名などか
      将韓国に由あるか
      凡て知りがたし。
      
      
      としている。 また、「古事記・笠紗之御前」について
      
      ======= 古事記 ========
      
      故其天忍日命【此者大伴連等之祖】 
      天津久米命【此者久米直等之祖也】 
      >
      於是詔之
      「此地者向韓國眞來通笠紗之御前
      而朝日之直刺國夕日之日照國也故此地甚吉地」
      
      詔而於底津石根宮柱布斗斯理於
      高天原氷椽多迦斯理而坐也 
      
      
      宣長は同じく「古事記伝・15巻」「韓国」の解説にこの神社を挙げている。
    ○鎮座地の考察○
    1. なぜ、ここに鎮座したのだろうか、その背景は。 韓神と云えば、先ず「韓鍛冶系製鉄民」が 思い浮かぶ。 現在の祭神に「五十猛」を祭祀しているところからしても それは頷ける。
    2. 天降川(旧大津川)の上流、霧島川の下流域 旧夕暮れの関辺り(現在の剣の宇都集落)には、 良質の砂鉄があって刀鍛冶屋が軒を連ねていたそうだが。
    3. それとも山ヶ野(横川)からの流失砂金でも採れたのだろうか・ 鉱脈の発見は江戸時代初期(1640)ではあるが
    4. 一応明治初期の鉱山リストを。 金 日置郡串木野郷羽島村 伊佐郡牛山郷牛尾村 臼杵郡鞍岡村 川辺郡南方郷鹿籠村 日置郡串木野郷斥ヶ野 桑原郡横川郷山ヶ野 砂金 伊佐郡佐志郷佐志川筋 銀 大隅郡牛根郷 肝属郡新城郷 臼杵郡岩戸村土呂久 臼杵郡内処々 日置郡串木野郷斥ヶ野 錫 諸県郡石川村内 大隅郡牛根郷 臼杵郡内処々 銅 川辺郡加世田郷片浦村 曾於郡国分郷河内村 大隅郡牛根郷中名村 臼杵郡七折村槙峯 臼杵郡北方村日平
    5. この神社が鎮座する近辺からは 銅や金、それに錫が採取されている。
    6. 曾於郡国分郷河内村 は鎮座地の辺りだが、内野々で採掘された。 この内野々には、神功皇后の桂姫伝承がある。
      pin.gif

      桂姫城伝承

      神功皇后三韓を御征伐ありし時 桂姫従軍して武功あり 皇后因て桂姫を賞して 名を勝浦姫と賜ひけり 是より武家に勝浦姫の後を 愛慕して 當國にも前代勝浦姫の妹一人召され 敷根へ宅地を賜ひ 居住せしめられたりといふ 此所其菖址なるべし 又城後の峯を 桂のみねといふ ==== 図会3-342 ====
    7. 温泉の硫黄や水銀は、昔はお化粧の材料 伊勢白粉おしろいに なっていたと云うからその採取積み出しの地か?
    ○考察付記○
    1. 宇佐神宮の古文書を引用すると
      
      pin.gif
      
      宇佐記曰
      欽明天皇三十二年二月葵卯
      豊前國、宇佐郡、菱形池上小倉山邊有
      神託三歳児告異人大神比疑曰
      辛國城八流之幡降
      辛國地名在、大隅國曽於郡
      我是日本人王十六代誉田天皇
      廣幡八幡麿也
      是応神天皇霊を見はし給ふ也
      ここに八流の幡を降されしなり
      按に、韓國亦虚國嶽
      此嶽は踊邑に在り
      に同じく
      
      所祀、
      五十猛命、韓神、曾富理神
      の三坐なるべし
      この神筑紫に在て
      
      ・・・・・・
      
      ==== 三国名勝図会  3-54 ===
      
      
      
    2. 欽明天皇期について
      • この欽明天皇の時代を日本書紀から この歳、欽明天皇は亡くなられている
      • この欽明天皇期は、朝鮮の動乱期でもある。 日本がバックアップしていた加羅国の任那が 562年に滅亡している。
      • その後、朝鮮は、高句麗、百済、新羅 となる。
      • また、仏教が伝来したのもこの頃である(538)
      • この宇佐記曰 の出自は「扶桑略記」の次の箇所
       
      pin.gif

      扶桑略記

      ○欽明天皇 四月。天皇幸二泊瀬柴離宮一。 卅二年辛卯正月一日甲子。 天皇第四皇子。橘豐日尊【用明天皇也。】之妃。 穴穂間人皇女。夜夢二金色僧一。容儀大艶。 謂曰。吾有二救世之願一。々x 宿二后腹一。 妃問云。為レ誰。僧曰。吾救世P 。家在二西方一。妃O 。妾腹垢穢。何宿二貴人一。 僧曰。吾不レ厭二垢穢一。唯望尠感二人間一。 妃O。不二敢辞讓一。左右随レ命。僧懐二懽色一。 躍入二口中一。妃即驚悟。喉中猶似レ呑レ物。 自レ此以後。始知レ有レ脣。 經二于八月一。言聞二于外一。」又同比。 八幡大明神顯二於筑紫二矣。豐前國字佐郡厩峯 菱瀉池之間。有二鍛冶翁一。甚奇異也。因レ之大神。 此義絶レ穀。三年籠居。即捧二 御幣一祈言。若汝神者。我前可レ顯。 即現二三歳少兒一「云」。以レS 託宣云。 我是 日本人皇第十六代譽田天皇廣幡八幡麿也。 我名曰二護國靈驗威身神大自在王P一。 國々所々垂跡於神明一。初顯坐耳。 一云。八幡大P初顯二豐前國宇佐郡馬城岑一。
       
      pin.gif
      • 『日本書紀』巻十八宣化天皇二年(乙卯五三七) 十月壬辰朔◆二年冬十月壬辰朔。 天皇以新羅冦於任那。詔大伴金村大連。 遣其子磐與狭手彦以助任那。 是時。磐留筑紫執其國政以備三韓。 狭手彦往鎭任那。加救百濟。
      • 『日本書紀』巻十九欽明天皇二三年(五六二) 正月◆廿三年春正月。 新羅打滅任那官家。 〈一本云。廿一年任那滅焉。忽言任那。 別言加羅國。安羅國。斯二岐國。多羅國。 卒麻國。古嗟國。子他國。散半下國。 乞■國。稔禮國。合十國。〉
      • 日本書紀』巻十九欽明天皇三二年(五七一) 三月壬子《五》 ◆卅二年春三月戊申朔壬子。 遣坂田耳子郎君。使於新羅。問任那滅由。
      • 『日本書紀』巻十九欽明天皇三二年(五七一) 三月是月◆是月。 高麗獻物并表未得呈奏。經歴數旬。占待良日。
      • 『日本書紀』巻十九欽明天皇三二年(五七一) 四月壬辰《十五》◆夏四月戊寅朔壬辰。 天皇寢疾不豫。皇太子向外不在。 騨馬召到。引入臥内。執其手詔曰。 朕疾甚。以後事屬汝。 汝須打新羅。封建任那。更造夫婦。 惟如舊曰。死無恨之。
      • 『日本書紀』巻十九欽明天皇三二年(五七一) 四月是月◆是月。天皇遂崩于内寝。時年若干。
      • 『日本書紀』巻十九欽明天皇三二年(五七一) 五月◆五月。殯于河内古市。
      • 『日本書紀』巻十九欽明天皇三二年(五七一) 八月丙子朔◆秋八月丙子朔。 新羅遣弔使未叱子失消等奉哀於殯。
      • 『日本書紀』巻十九欽明天皇三二年(五七一) 八月是月◆是月。未叱子失消等罷。
      • 『日本書紀』巻十九欽明天皇三二年(五七一) 九月◆九月。葬于桧隈坂合陵。
    3. 実は、新羅との関連は、 神話伝承の説話にも登場する。 スサノオがヤマタノオロチ退治の説話のところに 次のような下りがある。 息子の五十猛を連れて 新羅へ渡っているのだ。 説話が事実とすれば、 一世紀の頃になるのだが。。。
      pin.gif
      • 『日本書紀』巻一 第八段一書第一◆一書曰。 素戔鳴尊自天而降到於出雲簸之川上。 則見稻田宮主簀狹之八箇耳女子。號稻田媛。 乃於奇御戸爲起而生兒。 號清之湯山主三名狹漏彦八島篠。 一云。清之繋名坂輕彦八島手命。 又云。清之湯山主三名狹漏彦八島野。 此神五世孫。即大國主神。』篠。小竹也。此云斯奴。
      • 『日本書紀』巻一 第八段一書第二◆一書曰。 是時素戔鳴尊下到於安藝國可愛之川上也。 彼處有神。名曰脚摩手摩。 其妻名曰稻田宮主簀狹之八箇耳。 此神正在姙身。夫妻共愁。 乃告素戔鳴尊曰。我生兒雖多。毎生。 輙有八岐大蛇來呑。不得一存。 今吾且産。恐亦見呑。是以哀傷。 素戔鳴尊乃教之曰。汝可以衆菓釀酒八甕。 吾當爲汝殺蛇。二神隨教設酒。 至産時必彼大蛇當戸將呑兒焉。 』素戔鳴尊勅蛇曰。汝是可畏之神。 敢不饗乎。乃以八甕酒毎口沃入。 其蛇飮酒而睡。素戔鳴尊 拔劔斬之。至斬尾時劔刃少缺。 割而視之。 則劔在尾中。是號草薙劔。 此今在尾張國吾湯市村。即熱田祝部所掌之神是也。 其斷蛇劔號曰蛇之麁正。此今在石上也。 』是後以稻田宮 主簀狹之八箇耳生兒。 眞髮觸奇稻田媛。遷置於出雲國簸川上、而長養焉。 然後素戔鳴尊以爲妃。而所生兒之六世孫。 是曰大己貴命。』大己貴。此云於褒婀娜武智。
      • 『日本書紀』巻一 第八段一書第三◆一書曰。 素戔鳴尊欲幸奇稻田媛而乞之。 脚摩乳。手摩乳對曰。請先殺彼蛇。 然後幸者宜也。彼大蛇毎頭各有石松。 兩脇有山。甚可畏矣。將何以殺之。 素戔鳴尊乃計釀毒酒以飮之。蛇醉而睡。 素戔鳴尊乃以蛇韓鋤之劔斬頭斬腹。 其斬尾之時。劔刄少缺。故裂尾而看即別有一劔焉。 名爲草薙劔。此劔昔在素戔鳴尊許。 今在於尾張國也。其素戔鳴尊斷蛇之劔。 今在吉備神部許也。出雲簸之川上山是也。
      • 『日本書紀』巻一 第八段一書第四◆一書曰。 素戔鳴尊所行無状。 故諸神科以千座置戸而遂逐之。 是時。素戔鳴尊帥其子五十猛神。 降到於新羅國。 居曾尸茂梨之處。 乃興言曰。此地吾不欲居。 遂以埴土作舟乘之東渡。 到出雲國簸川上所在鳥上之峯。 時彼處有呑人大蛇。 素戔鳴尊乃以天蝿斫之劔斬彼大蛇。 時斬蛇尾而刃缺。即擘而視之。 尾中有一神劔。 素戔鳴尊曰。此不可以吾私用也。 乃遺五世孫天之葺根神上奉於天。 此今所謂草薙劔矣。 初五十猛神天降之時。多將樹種而下。 然不殖韓地盡以持歸。 遂始自筑紫。 凡大八洲國之内莫不播殖而成青山焉。 所以稱五十猛命爲有功之神。 即紀伊國所坐大神是也。
    4. 錦江湾沿いにある「剣神社」はここから勧請している。 神社が対峙して鎮座する ===>>あれ、どこかで、、、と思ったら、、、 香取神宮鹿島神宮 に酷似しているのでは。。 この2社は、蝦夷抗戦時の軍事の重要な寄港地となった処。 ご祭神は「軍神」と云われる由縁だが、、 蝦夷抗戦と同じく「熊襲抗戦」の激戦地 ここに「軍神」を祭祀する神社を勧請して鎮護する。。 頷ける。。
    5. この辺りには神社が多い。 熊満崎、諏訪、宇豆峯と300mおきで並んでいる。
    6. 2001/2/9:「三国名勝図会」に先ず、 宇豆峯に降臨し現在地へ遷座したとあるので、 これを基に最寄の頂を探した。
      • 三国名勝図会の宇豆峯は、 現在の諏訪神社西北の頂に当たるが、何もなかった。
      • 登ってはみたものの荒廃して判らず。 残念、再度探そうか。
      • 写真で、右側宇豆峯から真中の諏訪神社の 小高い山迄。 煙をあげ火を噴く桜島が眼前に迫り、 山頂は猫の額程で、南側は崩落して「覗き」 の様を呈し戦慄を覚えた。
      • 三国名勝図会の挿絵の「宇豆峯」は この諏訪の上の頂のようだが
      • 山頂は、2m円程の山頂には孟宗竹が群生して いて足の踏み場もなかった。
      • もちろん祠らしきものは見出せなかった。

    熊襲(隼人)の抗戦

    出典:続日本紀

    出典元号西暦首領朝廷側要因
    1-3,5,6天武3699---太宰府をして、三野、大隅国稲積の二城を修せしむ
    2-7,8大宝2702薩末比売日本武尊??
    6-2和銅6713
    6-5和銅7714

    平定のため、豊前国から移民す(200戸)
    8-8養老4720川上尊師(弥五郎)大伴宿弥旅人大隅国守陽候史麻呂(やこのふひとまろ)殺害に発する抗戦
    8-15養老5721

    隼人討伐1,400人
    9-6養老7723報償に不服

    和名類聚抄に表記されている地名:桑原郡

    1. 大原(オオハラ):
    2. 大分(オオイタ);
    3. 豊國(トヨクニ);
    4. 答西(イヤ):
    5. 稲積(イナズミ):
    6. 広田(ヒロタ):
    7. 桑善:
    8. 仲川(ナカカワ)國用中津川三字:====>>牧園町中津川


    contents/ HOME